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【子育て】乳児突然死症候群で娘を失った話

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いもむしねね(@imomusinene)です𖤣𖥧𖥣。

このブログに足を運んで頂き感謝します。゚

この記事の筆者

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・ブログ歴1年

・4桁ブロガー

・2020年に〔セキスイハイム〕の新居完成

・地元を離れ、子育て奮闘中

・2児の母

・外国籍(南の国)

 

今年もお盆の時期となりました。お盆は亡くなった人、先祖の精霊をお迎えして供養する期間というのはご存知ですよね。

プロフィールにも書いていますが、日本人ではない私にはお盆に対して、そこまで思い入れも持てず、何となく実家に帰省する日とだけ考えてきました。

そんな風に考えていた私ですが、去年のお盆を境に大切にするようになりました。

 

そんな私を変えた出来事は、娘の死です。

 

20日間しか生きられなかった次女のお話です。

 

今回の記事では、人生でどん底に落ちた時のことをお話しようと思います。

 

私の出来事を知り、一人でも多くの方に命の儚さをお伝えできればと思い、おもいきって話す事に決めました。

なお、この記事の内容は私が感じた気持ち、悲しさ、心の叫びなどを思いのまま書いています。現在、妊娠中や子育て中や不安でいっぱいの方には少しショッキングな内容となるかもしれません。

読み進む中で、少しでもきついと感じたらどうか記事を読むのはおやめください。

 

それでは、生まれる前の出来事のお話からです。

 

 

 

 

 

産まれる前の話

〔2020/2/21(金)〕

 

37週に入り、検診を受けに行っていた日でした。

検診の前に血圧を計ってみると、最高血圧:145/最低血圧:72

いつもは、最高血圧:110/最低血圧:46と低すぎず、高すぎずの数値だったので、不安に思っていました。

その不安は的中し、

「妊娠高血圧症候群」になってるね・・・

と診断されました。

本来ならその瞬間から入院をしなければならなかったのですが、なんの準備もしておらず先生に無理を言って次の日からの入院となりました。

といのも妊娠高血圧症候群と診断されたら、ママと赤ちゃんの命を守るため、お医者さんの指示に従い、適切な治療や管理を行う必要があり、そのためには、入院は必須になるのです。

妊娠高血圧症候群

 

妊娠高血圧症は、妊娠20週から産後12週までの間に高血圧になる病気です。妊婦全体の7~10%が発症すると言われており、妊娠前の高血圧に関係なく誰にでも起こり得る病気です。妊婦検診の血圧測定で発覚することが多く、特に妊娠後期で発症する人が多い傾向にあります。

 

〔2020/2/22(土)〕

 

ー夕方ー

この日の夕方から入院することに。

入院と同時に行ったことは

✔降圧剤の点滴

✔毎朝の尿検査

✔尿測定(毎回)

✔一日の塩分管理(食事管理)

主にこの4つでした。

 

食事管理は普段から割と多く食べる私にはキツいもので、一番酷いと感じたのは朝食の主食のししゃもが2匹しか無かった時でした…。

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食事管理はもちろん大変でしたが、最も辛いと感じたのは点滴です。

血管が出にくい+細いため、色々な箇所に点滴をさされ、沢山の人に失敗され、ついには針が神経にあたり、激痛を味わうなんて経験もしました。

神経に当てたのは主治医でした、、🥲

寝ている最中も点滴をしておくため、安定した場所に刺しておかなければならず、手の甲に点滴を…なんて日もありました。本当に苦痛でした。

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精神的にも身体的にも色々と負担がかかり、5時間寝られれば良い日でした。

 

毎日とはいきませんでしたが出来るだけ旦那は娘を連れてきてくれていたため、なんとか入院生活を乗り越えれました。

なんといっても、お腹にいる娘にもうすぐ会えるという楽しみで痛みなんて忘れられました。

 

 

 

予定日よりも早く出産

〔2020/3/2(月)〕

 

入院から9日後、陣痛促進剤を服用から6日経って、破水をしました。

お昼頃に破水し、夕方頃から陣痛が始まり、分娩室に入ってから3時半で娘を産みました。

二度目の出産でしたが、やはり感想としては死ぬほど痛いという感想しか出てこないです。

 

3月10日の予定日より8日早い出産となりましたが、母子共に元気でした。

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その夜に、産まれたばかりの娘と対面を果たした上の子が、なんとも不思議そうに赤ちゃんを見つめて微笑んでいるのを見て、この幸せな瞬間のために頑張ってきたんだと素直に思えました。

 

 

 

退院までの日々

上の娘はかなり泣く子で、世間でいう「手のかかる子」の部類に入る程手を焼きました。

産まれた娘はどちらかというと、よく寝る子でした。

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新生児なので、3時間おき程のミルクの時間でしたが、不思議な程に苦は感じられませんでした。

 

入院中、夜は理由がない限り看護師さんに預けることは出来ます。

私は離れたくないという気持ちと、あまり泣かないからということもあって、殆どの夜を一緒に私の部屋で過ごしました。

 

入院中、娘と同時期に産まれた赤ちゃんのママさん達と仲良くなり、連絡先の交換も行っていました。

 

ほんとに幸せな日々でした。

 

 

 

退院前

〔2020/3/6(金)〕

 

退院日の前日に黄疸が見つかり、数時間だけ保育器に入ることになりました。

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オムツ姿でアイマスクをし、保育器に入っている娘です。

黄疸

 

赤血球の分解されたあとの物質であるビリルビンが増加(高ビリルビン血症)するために、皮膚や粘膜にたまり黄色になった状態をいいます。

 

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アイマスク姿の見慣れない娘に少し戸惑いながらも、やはりアイマスクをしていても可愛いと感じるほど親ばかになっていた私でした。

 

 

 

退院日

〔2020/3/7(土)〕

 

黄疸も前日の夜には数値が低くなり、退院することが決定しました。

退院日のご飯はフランス料理でした。

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ご飯も美味しく食べれて、娘と無事家に帰ることができ、上の娘とも二週間ぶりにいっぱい過ごせて幸せでした。

 

 

 

何気ない日々

退院してから、多忙ながらも幸せな日々を過ごしていました。

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ミルクのお手伝いをやりたがったり、一緒に写真を撮りたがったりと上の娘は下の子を溺愛していました。

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大変な日々ながらも、幸せを実感できる。そんな毎日でした。

 

 

 

どん底へ突き落とされた日

〔2020/3/19(木)〕

 

新築の引渡しまで二週間を切ったこの日、旦那のお休みだったので、娘を連れて家を見に行きました。

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工事中ということもあって、中には連れていかず、車の近くで待機のみでした。

娘は一度も今の家に入れず、となりました…。

 

 

〔2020/3/21(土)〕

当日の事は今でも何が起きたかはハッキリと覚えていません。

思考が停止し、頭が回らずなんとなくの記憶を話していきます。

 

ー午前10時前ー

目が覚め、隣に寝ていたはずの娘を見てみると、息をしていないことに気が付きました。

身体に力が入っておらず、冷えきっていた娘に何が起こったのか一瞬、分かりませんでした。

我に返り、息をしていないそう確信しました。

旦那は夜勤でしたが、既に帰宅しており、娘が息をしていない事を急いで報告。

その場にいた旦那の母は心臓マッサージを、旦那は救急車を呼んでいました。

娘が大変なことになっていると頭の中では理解していても、立ち尽くすことしかできませんでした

 

5分から10分程すると、旦那の呼んでいた救急車が到着しました。

その時の救急車のサイレンが今でも忘れられません。サイレンを聞く度あの日に戻される感覚に陥ります。

 

上の子は旦那の母に預け、私と旦那は急いで救急車に乗り込みました。

乗り込む際も、私は何の行動もとることが出来ず、旦那に引きずられながら乗り込みました。

 

救急車に乗っている間、隊員たちが心臓マッサージを繰り返しながら、いくつかの質問をされました。その時の質問は何も覚えていません。そもそも私が答えたのかも分かりません。

 

ただ、私の頭の中には、冷えきった娘の身体に触れた時の感覚だけが鮮明に記憶されていました。

 

 

ー病院へ到着ー

緊急の時に使われている部屋へ娘が運ばれてから1時間程が経った頃、中に呼ばれ、

1時間程蘇生を試みましたが、息を吹き返すことは難しいです。措置を止めてもいいですか?

と言うような言葉を言われました。

私は返事することができず、ただ泣いていました。

私の代わりに旦那が返事をし、

11時24分 息を引き取りました

と言われ、心臓マッサージは止まり、付けられて器具なども外されました。

その日の出来事や会話などの記憶は全て曖昧ですが、息を引き取ったというフレーズだけははっきりと覚えています。

 

私を幸せの日々からどん底へと突き落とした一言でした。

その直後に撮った写真です。

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人差し指に付いている血は恐らく娘のです。

 

娘に起きた出来事を母に伝えなければと思い、電話しました。

仕事中の母でしたが、父から職場に電話があり、私に掛け直してきました。

涙しか出てこず、母に伝えるまで凄く長い時間を掛けました。そんな私の様子に母は電話口からも分かるほど泣いていました。

 

母、父、妹、弟は病院に駆け付け、皆で眠っている娘の傍にいました。

 

しばらくすると、医者達から今回の出来事の原因などの話をされ、言われたのは原因は分からないという事でした。

乳児突然死症候群」という病名でした。

児突然死症候群(SIDS)

 

1歳以下の健康に見えていた乳児が通常は睡眠中に予期せず突然死亡すること

要するに、起きてしまった事の原因は分からないということでした。

2000人に1人の確率で起こるのだそうです。

その日の夜、母達は近くのホテルへと泊まり、私達は娘を家へと連れ帰りました。

 

その日の夜は寝れず、次の日の朝に2時間程仮眠をしました。

火葬はいつにするかなどの話し合いを終え、母達は一旦家へと帰りました。

 

 

 

お別れの日

〔2020/3/23(月)〕

 

午前中に火葬が行われました。

火葬屋さん曰く、

お子さんなので、なるべく窯が熱くなっていない午前中の方がよろしいかと

という事だったので、午前中にすることに。

 

母は可愛らしいお花でいっぱいの花束を。

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私はオレンジ色のバラを。

バラ5本は『あなたに出会えた事の心からの喜び』。オレンジ色は『絆』という意味があるのだそう。

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娘の周りをこのお花達でいっぱいにし、お別れをしました。

 

火葬を体験したことのある方にしか分からない話ですが、火葬を始められる前に、点火ボタンというものがあり、

自分たちて押されますか?それとも私共でしましょうか?

という風に、係員の方に聞かれます。

私達は自分でとは言いましたが、なかなか記憶に残るシーンでした。

旦那と一緒に押しましたが、押した瞬間何もかも現実なんだと、もうあの子は居ないんだと打ちのめされる気持ちになりました。

 

 

 

伝えたいこと

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

以上で私が体験したどん底へ突き落とされたできごとでした。

 

この話をブログに話すかはとても悩みました。

話そうと思ったきっかけは特にありません。ただ、旦那からの提案でした。

私達が体験した辛いことを伝えることで、改めて命の尊さ、儚さを思い出すきっかけとなればという思いが二人にあったからかもしれません。

 

娘を産み、当たり前のように成長を見られると思っていました。

一週間後には新しい家になり、思い出が増え、これからも何気ない幸せな日々を過ごしていけると信じて疑っていませんでした。

 

人生何が起きかは分からない。良い方向にも、悪い方向にも。

 

一年経過した今でも思い出すと、涙は止まりません。

もっと早く起きていたら、助けられたかもしれない。

もっと一緒に居たかった。もっと成長を見たかった。どんなに願ってもあの子がかえってくるはありません。

私に出来るのは、後悔のないように過ごしていく。これだけなのかなと思います。

 

娘と過ごした20日間は私達の宝物です。

短かったけど、ちゃんとあの子は生きていました。

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現在妊娠中の私に

二人目ですか?

と聞かれる度、三人目ですと言いそうになります。

私の中では、あの子は次女で、今度産まれてくる子は末っ子なんですと。なのにそれを言えない現実。

 

とても歯がゆいです。

 

今回の話を聞いて、少しでも心に響いたのなら、どうか、あなたの大切な人を大事にして下さい。

 

居なくなってからではどんなに願っても、何も叶えはしないのです。

私達と同じ思いをされる方が少しでもいなくなることを願ってます。

 

 

ーいもむしねねー